●謝辞
このページを制作するに当たり、鷹月氏はもちろん、各種文献の著者の方々、賛否両論のホームページなど、すべて大変お世話になりました。一々全員の名前を挙げられないのをお許し下さい。このページが何とか公開にこぎ着けられたのは、すべて先人の研究と努力の賜物です。篤く、お礼申し上げます。
●我時來れり!! 上野良樹
私はインターネットを、堅い話題をする事や、就職活動に利用する事はあっても、基本的には自分の趣味で利用していますし、自分のページを造るときはなおさらそのつもりでいました。私は他にドラえもんや信長の野望、ハンドル名の由来となった五月倶楽部などを題材とした、幾つかの内容のページを計画していますが、基本的に自分が楽しいから造るというのは変わりません。
しかし、ここで一言断って置きたいのは、このページは、きっかけこそ『五月倶楽部2』によるものですが、そういった個人の楽しみで造ったものでは無いということです。
インターネットに出来る事の一つとして、個人による情報発信が挙げられています。それまで個人が何かを訴えようと思えば、新聞や雑誌に投稿するか、街頭演説をするか、いずれにせよ限界がありました。投稿は必ず採用されるとは限りませんし、演説をしても多くの人に自分の意見を訴えるのは難しく、また広い範囲で物事を訴えるのには無理がありました。
さらに、自分でちらしなり本なりを出すというのは、相応の手間がかかりますし、特に本は費用的にもおいそれと出せる物ではありませんでした。インターネットを始めとする情報通信が、費用や技術面の負担を大幅に減らし、個人での情報発信を容易にした事は、既に多くの方によって指摘されており、私があれこれと書くまでもありません。
盗聴法の成立した1999[平成11]年の第145通常国会は、本文中でも触れましたが、与党の完勝と言って良い内容でした。与党の自民・自由・公明、いわゆる「自自公」三党(と改革クラブ)で衆議院の7割、参議院の6割近い議席を占めるという状況が生まれたのです。この国会で盗聴法を始め、ガイドライン法、国旗・国歌法、憲法調査会設置法、国民総背番号制など、与党の望む重要法案はほとんどが可決したのです。内容の是非はさて置き(国旗に限って言えば、必ずしも反対では無い。法制化の経緯に胡散臭さは感じますが…)、今までならばどれを取っても、一つや二つの内閣がつぶれるといわれたほど賛否の分かれていた法案でした。それがことごとく通ったのです。
盗聴法賛成派の稲垣武氏は、近著『「悪魔祓い」のミレニアム』(文藝春秋、税抜き1619円。第2回と6回で引用した盗聴法賛成論も収録)の「はじめに」で、こんな事を書いています。やや長いですが、読んでみて下さい。
(前略)最近になってマス・メディアのなかでも、漸く大衆迎合を棄て、国民の意識変革を志すメディアが出てきた。新・保守主義に立脚することを鮮明にした読売・産経がそれである。読売は二〇〇〇年元旦に四項目からなる新しい「信条」を発表、戦後民主主義の虚妄から脱し、憲法改正を含む健全な政治・社会システムの構築を呼びかける立場を明示した。これに対して左翼市民主義に立つ朝日・毎日は戦後民主主義を墨守し、「普通の国」となるのを事ごとに拒否する姿勢を見せている。
その論調は、読売・産経が明確で具体的であり、特に読売は憲法改正試案を発表するなど、重要な問題についてさまざまな提言をしてきたのに対し、朝日・毎日の論調は抽象的であることが多く、特に朝日はしたり顔で内容空疎なお説教をするのを専らにしてきた。
(中略)
朝日はおのれを「革新」であるかのように思いこんでいるようだが、戦後民主主義の価値観にしがみついていることといい、古いタイプの意識を保持していることといい、「革新」というより「守旧派」である。その点で自らのアイデンティティに揺るぎない自信を持っている真の「保守」のほうが、思い切った変革を恐れず、ためらわない点で「革新的」といえる。
(中略)
日本が思い切った変革をなしとげ、二十一世紀へ向けて新しい発展を目指せるかどうかは、マス・メディアの「守旧派」と真の「革新派」のどちらが国民の支持を得るかにかかっているが、歪んだ自虐史観を正し、まともな歴史認識に立脚した自国への誇りと愛を取り戻すために設立された「新しい歴史教科書をつくる会」の西尾幹二会長が著した『国民の歴史』が、七十二万部を突破する大ベストセラーとなったことにみられるように、ここに来て国民の意識・認識も大きなうねりとなって変わりつつある。世論調査で憲法改正を必要とする意見が過半数を占めるようになったのもその一つだ。その動きに怯えてか、朝日などの論調もあくまで憲法改正をタブーとするという姿勢から、憲法を論議すること自体は是とする姿勢に変わってきた。とはいっても憲法九条を神聖不可侵のものとしたい勢力もまだ社内に根強く存在し、そのため日米安保問題をめぐる報道・論調でも、憲法上の制約が安保の実効性を損なっていることを認めながら、憲法改正の必要性には敢えて触れないため、堂々めぐりに終わる羽目になっている。日本の袋小路入りを助長しているメディア自体が袋小路に追い詰められているわけだ。(後略、4~7頁より一部引用)
2000[平成12]年7月7日(11月9日公職選挙法改正について加筆)