●分限裁判とは
寺西和史氏は、現在仙台地方裁判所に勤務する判事補です。判事補とは、判事、つまり裁判官の見習いですが、勤務年数が5年を過ぎているので、「特例判事補」つまり、一人前の判事と同じように、単独で判決を出せる権限を持っています。“準”一人前、というところでしょうか。
裁判官の任期は10年で、最初の10年を過ぎて再任されると、初めて一人前の判事となります。ただ、裁判官は慢性的な人手不足なので、6年目で事実上一人前の権限を与えているのでしょう。
また、任期満了後再任拒否をされてしまうと定年前であっても当然裁判官を続けられなくなるわけで、
寺西氏は盗聴法案を含む組織犯罪対策法案反対の集会('98年4月18日開催の「つぶせ! 盗聴法・組織犯罪対策法 許すな!警察管理社会4・18大集会」)にパネリストとしての出席を予定していました。それは裁判所法で禁じている「積極的な政治運動」に当たるから行くな、と仙台地裁所長の泉山禎治氏に止められました。
結局寺西氏は集会に参加しましたが、パネリストとしての発言は取りやめました。ところが参加した事自体と、会場で「集会でパネリストとして話すつもりだったが、所長に『処分する』と言われた。法案に反対することは禁止されていないと思う」と発言したことは「積極的な政治運動」であると仙台地裁の申立てによって仙台高裁による分限裁判に掛けられ、戒告処分を受けました('98年7月24日)。寺西氏は最高裁に即時抗告しましたが、'98年12月1日に最高裁は寺西氏の即時抗告を退け、戒告処分が確定しました。
寺西氏が処分されたのは、「分限裁判」によるものです。
分限裁判とは、裁判官を処分するための裁判です。
何故このようなものがあるかといいますと、裁判官は職権の独立が憲法で保証されています。
第七十六条 (中略) (3) すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行い、この憲法および法律にのみ拘束される。
第七十八条 裁判官は、裁判により、心身の故障のために職務を執ることができないと決定された場合を除いては、公の弾劾によらなければ罷免されない。裁判官の懲戒処分は、行政機関がこれを行ふ事はできない。
このように、裁判官の独立を保証するため、普通の方法で処分出来ないようになっています。というわけで、裁判官を処分するために用意された特別の裁判が分限裁判なのです。ただこれは、「心身の故障のために職務を執ることができない」と本人が申し出た場合を除き、首になることはありません(行方不明を理由に免官になった人はいる)。もし罷免に値する場合は、さらに「弾劾裁判」が用意されています。なお最高裁判所判事ならば、国民審査でも罷免される可能性があります。
裁判所法では、裁判官の懲戒について、こう定めています。
第四九条(懲戒) 裁判官は、職務上の義務に違反し、若しくは職務を怠り、又は品位を辱める行状があつたときは、別に法律で定めるところにより裁判によって懲戒される。
また、政治活動についての規定はこうです。
第五二条(政治運動等の禁止) 裁判官は、在任中、左の行為をすることができない。
一 国会若しくは地方公共団体の議会の議員となり、又は積極的に政治運動をすること。
(以下略)
この「積極的な政治運動」に当たるかどうかが、この事件の鍵です。
●寺西氏処分までの経過と問題点
前置きが長くなりましたが、本題に入ります。
寺西氏が組織犯罪対策法反対集会に出席した事で処分を受けたのは前に触れました。
実は、これには前哨戦があります。
'97年7月18日、法制審議会が、法相の諮問を受けて盗聴法案を含む組織的犯罪対策法案の骨子を決定しました。これを受けて寺西氏は、「信頼できない盗聴令状審査」と題する批判を『朝日新聞』の「声」(読者欄)に投稿し、同年10月2日号に採用されました。
その内容は、裁判官が盗聴を許可するために出す令状が、ほとんどが検察官、警察官の言いなりに発布されていると指摘。
しかも、現行法で盗聴を認める令状は違法であるとの学説が圧倒的多数にも関わらず、「検証」という形で認められ、地裁、高裁の判決でもそれが合法と認められている現実があり、
「通信の秘密、プライバシー権、表現の自由という重要な人権に関わる盗聴令状の審査を、このような裁判官にゆだねて本当に大丈夫と思いますか?」
と結論づけています。
これに対し、10月8日号で田尾建二郎判事が「事実に反する令状言いなり」と反論しました。そして、それと同じ日に、寺西氏は当時勤務していた旭川地裁の所長室に呼ばれ、鬼頭季郎所長から注意処分を受けたのでした。
さて、ここからが本番です。
寺西氏が組織犯罪対策法反対集会に出席しようとした事に対し、泉山仙台地裁所長の反対を振り切った事は前に述べました。
寺西氏の著書『愉快な裁判官』(河出書房新社、税抜き1800円)によりますと、寺西氏はかなり迷ったようです。周囲には反対する者が多く、いったん出席を決めた後も、今度は主催者から「こちらから参加を申し込んで置いて申し訳ないのですが、参加を見合わせていただけないでしょうか」と言われ、「あくまで寺西さんの意向は尊重します」とも言われたものの、いったんは諦めたそうです。
しかし、所長の圧力で断念したという事になるのを嫌い、結局参加したわけです。
これを受けた仙台地裁の泉山所長は、20日に寺西氏を呼び、事情聴取。寺西氏は集会での事を話すのは拒否しました。「処分をもくろんでいる所長に協力するなんてばかばかしい」と思ったとあります(前掲書193頁)。
結局'98年5月1日、仙台地方裁判所は、仙台高等裁判所に分限裁判の申立てを行いました。以下に引用するのは仙台地裁の出した「申立ての理由」です。
一 被申立人(引用者注:寺西氏)は、平成五年四月九日判事補に任命され、平成一〇年四月一日仙台地方裁判所判事補に補された者である。
二 組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律案他二法案(いわゆる組織的犯罪対策三法案)が、平成一〇年三月一三日、内閣から国会に提出されたが、同法案への対応については、政党間において意見が分かれ、政治的問題となっていた。
三 そのような中で、組織的犯罪対策三法案に反対し、その廃案を目指している団体である「組織的犯罪対策法に反対する共同行動」(以下「本件団体」という。)は、右法案の廃案を目指す継続的政治行動の一環として、平成十年四月十八日に東京都所在の社会文化会館によって集会(以下「本集会」という。)を開催することを計画した。
被申立人は、本集会に講師として参加することを承諾し、本件団体の発行するビラには、「盗聴法・組対法を葬りされ!」「戦争のできる国家体制づくりと表裏をなす悪法」等と記載して本集会への参加を呼びかける文言と共に、「寺西和史(裁判官)」が講師として参加する旨の記載がされ、そのビラが一般公衆に配布された。
ここまでは事実関係を説明した部分です。これを読んでも裁判所が寺西氏のどこが気にくわなかったのかを伺う事が出来ますが、ここからが本番です。
四 被申立人は、右事実を知りつつ、本集会に先立つ同月九日に仙台地方裁判所長から、右ビラの写しを示された上、被申立人が本集会に参加し、裁判官の地位を明らかにして本集会の趣旨に賛同する行動をとれば、裁判所法の禁止する「積極的な政治運動」に当たるおそれがあり、そのような行動をすべきでない旨の警告を受けたにもかかわらず、同月十八日、本集会に参加し、多数の者が集まった会場において、仙台地方裁判所の裁判官であることを明らかにした上、「集会でパネリストとして話すつもりだったが、地裁所長に『処分する』と言われた。法案に反対することは禁止されていないと思う。」旨の発言をし、言外に右法案に反対する意志を明らかにして同法案に反対する運動を盛り上げ、もって、本件団体の主張を支持する目的で、裁判官という職名の有する影響力を利用し、多数の者が集まる集会で同主張を支持する趣旨の発言をしたものである。
五 被申立人の右行為は、裁判所法五二条一号に言う「積極的に政治運動をすること」に該当し、同法四九条に言う職務上の義務に違反したものといわざるを得ない。
六 よって、本件申立てをする。
(大活字は引用者)
無茶です。「言外に」というのは、おおっぴらに口に出さずに、という意味です。それが何故「積極的」な政治運動になるのか。意味不明としか言いようがありません。
こうして分限裁判が始まったのですが、申立てが5月1日にも関わらず、仙台高裁は、第一回の審問は13日に行うと指定されました。
普通、訴状を出したその日に第一回の期日を決めたりはしません。また、普通は第一回は一月くらい先の日になります。この仙台高裁の態度を見ますと、さっさと処分してしまえ、という意志が窺えます。
訴訟の当事者は、もう一方の当事者の出した全ての証拠を見る事が出来ます。近年犯罪被害者が「(裁判の)当事者ではない」という理由で証拠を見られないのが問題となり、改善が図られつつありますが、寺西氏の場合、まさに当事者にも関わらず、仙台高裁は一部しか見せようとしなかったのです。
証拠については結局全ての閲覧が認められましたが、一部の謄写(コピー)は制限され、また証拠書類作成者の氏名は黒塗りにされていました。相手が犯罪者なら「お礼参り」と言われる仕返しもありうるでしょうが、寺西氏でしたら、せいぜい反論を雑誌や新聞に書く程度でしょう。それで名指しされるのが怖かったのだとすれば、情け無いと言うしかありません。
二回の審問を経て、'98年7月24日、仙台高裁は寺西氏の戒告を決定しました。さすがに「言外に〜」の下りは削除されていましたが、内容は仙台地裁の言い分をそのまま認めたものでした。
寺西氏は最高裁に即時抗告しましたが、一度も審問を行わないまま、12月1日、10対5の多数決で寺西氏の戒告を決定しました。
●寺西氏戒告の論理
最高裁判所は、多数意見として、こう書いています。
(前略)本件集会(引用者注:「つぶせ! 盗聴法・組織犯罪対策法 許すな!警察管理社会4・18大集会」)は、単なる討論集会ではなく、初めから本件法案を悪法と決め付け、これを廃案に追い込むことを目的とするという党派的な運動の一環として開催されたものであるから、そのような場で集会の趣旨に賛同するような言動をすることは、国会に対して立法行為を断念するよう圧力をかける行為であって、単なる個人の意見の表明の域を超えることは明らかである。
このように、本件言動は、本件法案を廃案に追い込むことを目的として共同して行動している諸団体の組織的・計画的・継続的な反対運動を拡大、発展させ、右目的を達成させることを積極的に支援しこれを推進するものであり、裁判官の職にある者として厳に避けなければならない行為というべきであって、裁判所法五二条一号が禁止している「積極的に政治運動をすること」に該当するものといわざるを得ない。
この運動、別に寺西氏が主催したわけではありません。また、パネリストとしての発言を辞退したわけで、「積極的」に反対運動に参加したというのは無理があります。それを、「言外に」という文言こそ無いものの、いつの間にか「積極的に政治運動」をした事にされてしまう。反対意見を主張した元原利文判事は、
と指摘しています。これをもって、反対運動を支援し、これを推進する役割を果たしたというのは、過大な評価である。
寺西氏戒告処分支持の意見として、「産經抄」の石井英夫氏はこう主張しています。
また稲垣武氏は、こう主張します。裁判官は普通の公務員とは違う。まして特定の政治権力に荷担するような行動が制約を受けるのは当然である。
(『産經新聞』'98年12月4日号)
寺西判事補は、組織的的犯罪防止法反対の集会に出席して法制定反対の意見を述べようとしたのであり、それは法の番人としての裁判官の職務に深く関わる問題なのだから、裁判官の中立性を損なう、ひいては「裁判官の独立」性すら損なうのではないか。
(『「悪魔祓い」のミレニアム』文藝春秋、税抜き1619円157頁)
どうも「政治運動」自体がいけないかのように勘違いしているようですが、そんな事は全くありません。
どうしても付け加えて置きたい事があります。
山口繁最高裁判所長官は、'98年5月2日に記者会見で、少年法の改正について、
「速やかに合意を経て、立法に持っていっていただきたい」
と述べました。少年法は明らかに「法の番人としての裁判官の職務に深く関わる問題」であり、「言外」に意志を示したことすら違法とした寺西氏戒告の論理からすれば、山口氏の言動はそれどころではありません。
こういう人が裁判長として寺西氏を戒告にした事は、むしろそれ自体が、「裁判官の独立性を損なう」行為といわざるを得ません。
やはり、国民審査で落ちて戴くしかありません。
なお、稲垣氏はこうも書いています。
仮に、憲法改正運動や、有事立法促進運動の集会に裁判官が出席して支援演説をぶてば、朝日は血相変えて非難するだろう。それで当人が処分されたときでも朝日は憲法違反だと擁護するのか。ご都合主義的な言論を弄するものではない。
(『「悪魔祓い」のミレニアム』文藝春秋、税抜き1619円158頁)
少年法に『朝日新聞』は慎重、『産經新聞』は積極的な立場ですが、『朝日』は山口氏に対し、別に「血相変えて批判」してはいません。
もちろん、山口氏や寺西氏の主張への批判が自由なのは言うまでもありません。「積極的な政治運動」ではない発言が咎められた事が問題なのです。
寺西氏戒告支持の論理を見ますと、山口氏が批判すらされず、寺西氏が戒告された理由は、その主張がどこにも規定が無い「反政府的」であったという理由である事がわかるのです。
(この項続きます)