投票前日。特定候補を支援すると「文書図画(ぶんしょとが)」の違法配布に引っ掛かる恐れがありますが、特定候補の批判なら問題はないとか(参考「落選運動とその活動についての法律問題」、「落選運動の勝手連?〜 「選挙運動」の定義」)。なんか引っ掛かる規定であり、一刻も早いネット選挙の解禁が求められます。
で、今回は地元の知事選をさて置き(もちろん投票には行きます)、大急ぎで石原慎太郎氏を落選させるために、少しでも助けになればと書きます。
なぜ書くのか、一言で言えば首都の代表にふさわしい人物ではなく、もう一言言えば人間を踏みつけにする人物だからです。
2000[平成12]年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地において、石原氏の「三国人」発言がなされました(全文は踊る埴輪氏の「石原都知事「三国人」発言の全文」)。
この発言に批判が上がると、やれ朝鮮人は凶悪だの(ぢぢ氏「三国人の不法行為何を批判されたのか」)、外国人犯罪が増えているのは事実だな(瀬戸弘幸氏「「石原=三国人発言」と左翼の狙い」)どと意図的に「三国人」を差別的文脈で使い始めるたわけが大量に現れました。
ぢぢ氏の主張は、「三国人」発言を擁護するために「朝鮮人は差別に値する存在」と人種差別を根拠にする点で問題外ですが(経過はどうあれ、自国から独立した民族に好感を持つことは難しいでしょう。たとえば、インド独立前後でイギリス人のインド人好感度を調査したら、似た結果になったのではないか?)。
「外国人の凶悪犯罪が増えた」というのも嘘です(本文は中島真一郎氏「「不法滞在者」は、犯罪の温床であり、凶悪犯罪を繰り返しているというウソ」)。前掲瀬戸氏は野田健警視総監(当時)の発言などを元に「三国人」発言を正当化していますが、これは野田氏が勝手な偏見で話した事と云うしかありません。(「三国人」については藤永壮氏「石原「第三国人」発言批判声明・解説」)
しかし私が本当に驚いたのが、次の発言です。重要なので、やや長めに引用します。
(前略)過日、知事として初めて警視庁を視察した時いろいろ印象的なものを目にさせられたが、その一つに科学捜査研究所で見た、被害者の割り出しのための死体修復技術の成果があった。見るも無残に顔の皮をすべて剥がれて誰ともつかぬ死体の顔を科学的に分析し、その原形の顔立ちを割り出し、構成しなおして出来上がった想像写真を元に捜査を進め被害者の身元を確認したのだが、被害者は仲間割れした不法入国の中国人だった。捜査の過程でこの被害者が多分日本人ならざる外国人、おそらく中国人だろうことは推測がついていたという。その訳は、何だろうと日本人ならこうした手口の犯行はしないものですと。やがて犯人も挙がったが推測通り中国人犯罪者同士の報復のためだったそうな。しかしこうした民族的DNAを表示するような犯罪が蔓延することでやがて日本社会全体の資質が変えられていく恐れが無しとはしまい。(後略)
(『産經新聞』2001年5月8日号「日本よ」「内なる防衛を」)
この発言、個別の犯罪者の批判ではありません。「日本人ならしない」「民族的DNA」を表示する犯罪であると。中国人という存在そのものを悪とした発言です。
どう見ても人種差別発言であり、この発言が全国紙の一面を飾ったことも驚きなら、全くと言っていいほど公に批判されなかった事も驚きでした。
この発言だけでも、石原氏が首都の首長に収まり続ける事を許すのは、日本にとって、人間にとって恥辱です。
石原氏は小説家としてまず世に知られただけに、文学者として表現規制をするような真似はしないのではないか。このような期待も見られます。
しかし残念ながら、実際の政策はそうとは言えません。
東京都青少年の健全な育成に関する条例(以下東京都青少年健全育成条例と略す)。
平成16[2004]年の改定で、追加された部分(キタノ氏「資料/東京都青少年健全育成条例(2004年改正施行分)」)。
「不健全」描写が一定以上の割合を占めたと判断されると自動的に「不健全」図書と見なす制度(包括指定)が問題になり、この点については何とか見送られました。
とは言え、都条例の影響で、「不健全」未指定でも18禁の書籍・雑誌がほぼ全国的に簡易包装で立ち読みできないよう対策が取られました。東京都は出版社が集中するため、都の政策は即座に全国に影響を及ぼすのです。従来比500倍の人数の「青少年健全育成協力員」を新設することで、文書メディアへの「不健全」指定を含めた密告も懸念されています(「盗聴法について考える(7)」も参照)。
警視庁の竹花豊氏は2006年7月まで東京都副知事として出向し、現在は警視庁に戻っています。その竹花氏が座長となった「バーチャル社会のもたらす弊害から子どもを守る研究会」。
「PDFファイルバーチャル社会のもたらす弊害から
子どもを守るために」では半数のページを割き、漫画・コンピュータゲーム規制を主張しています。「暴力的なシーンにより子どもの攻撃行動が促進されうることなどについては、調査研究等の成果によって支持されている状況にある」(どこの研究だよ!?)など、言いたいことはいろいろありますが、特筆すべきは「数人単位のグループで制作されるコミック(いわゆる「同人誌」)」への規制を強調していることです。
言うまでもなく実在の児童への性的行為は犯罪です。しかし、漫画はどうでしょうか?
また、漫画やイラストなどの、いわゆる「二次元」画像は、人物を幼くデフォルメするのが普通です。ちゃんと大人として描いていても、初めての人が見れば子供に見える可能性あります。
おまけに、竹花座長も、委員の一人である首都大学東京・前田雅英教授も「ポルノコミックなど一切読んだ事がない」という。批判するには当然、その内容を知る必要があります。知らないことを自慢する人が規制を進めるなら、どのような結果になるかは大いに想像が付きます。
警視庁系の団体が、石原都政下でこのような報告書を出したことは憂慮すべきです。
「田中均という奴は爆弾を仕掛けられた。当ったり前の話だ。いるか、いないかわからないミスターXと交渉したと言って、向こう(北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国)の言いなりになる」(2003年9月10日、自民党総裁選で亀井静香氏の応援演説にて)
外務省の田中均氏は北朝鮮に弱腰であるという批判は、これ以前からされていました。「建国義勇軍(のちに「刀剣友の会」の犯行であることが判明)」を称する差出人から、田中氏の自宅に時限式発火物とみられる不審物が送られた事件への主張です。
一方、翌日にはこうも言っています。「北朝鮮の拉致、拉致と言ったって誘拐、殺人だ。あれがテロじゃなくて何なんだ。(中略)私は爆弾仕掛けることがいいことだとは思っていません。いいか悪いかといったら悪いに決まっている。だけど、彼がそういう目に遭う当然のいきさつがあるんじゃないですか。」
北朝鮮のテロは悪いテロだが、田中氏へのテロはいいテロ、やられて当然のテロと言っているようにしか見えません。
テロリズム(Terrorism、恐怖主義)とは、暴力などによる恐怖で、政治的目的を達成しようとする思想です。恐怖で他人を押さえつけようとするやり方は、まさにテロリストの呼び名に相応しいものです。
こういう人がいます。
「(引用者注:国歌演奏を拒否した教諭に対し)例えば「私は雨の日は家で寝ている主義なんです。だから雨の日は授業はしません」なんてのも通用しちゃうじゃないですか。(くっくり氏「朝日新聞 若宮啓文論説主幹インタビュー)」」
「公立学校の教職員が自国の国旗・国歌をないがしろにし、その上テレビで顔さらしても平気でいられる(むしろ誇らしげである)国なんて、日本だけじゃないですか?(同、「国旗・国歌、混乱させてるのは教師の方です)」」
仮に上司に「人を殺してこい」と言われて従う人がいたら、よほどの馬鹿か、または救いようのない苦境に立たされているかのどちらかと思います。
もちろん国歌を演奏したからと言って人が死ぬわけではありません。しかし、「国旗・国歌への忠誠は自明であり、職務として反対する余地はない」性質のものでしょうか? 取り敢えず「常識」と言って正当化し、具体的な説明を求められるとひたすら「常識」「伝統」の一点張り。自分が間違っているかも知れない、とは決して考えない傲慢さ。
失礼、石原氏から離れてしまいました。ここで、石原都政と国旗・国歌の関係について簡単に振り返っておきます。
実は、1999年の知事選に出た時の見解は、次のようなものでした。「日の丸は好きだけれど、君が代って歌は嫌いなんだ、個人的には。歌詞だってあれは一種の滅私奉公みたいな内容だ。新しい国歌を作ったらいいじゃないか。好きな方、歌いやいいんだよ。」(『毎日新聞』1999年3月13日号)
しかし、同年に国旗・国歌の法制化が成立。石原都政は次第に締め付けを強め、2期目の2003年10月には従わない教職員の処分を含めた、強制の通達を出しました(「入学式、卒業式等における国旗掲揚及び国歌斉唱の実施について(通達)」)。
その結果、翌年の卒業式では248名の教職員が処分され、うち9名は追放されました。しかも、民主党で親石原派の土屋敬之都議らの差し金で、生徒が勝手に国旗・国歌に応じなかったケースでも、教職員が処分されています(教職員を簡単に嵌められるという、別の意味でも問題)。(参考「」)
これより少し前の2003年4月、東京都教育委員会第7回定例会(PDF)では、次のような会話が交わされました。
【教育長】(引用者注:横山洋吉氏)そもそも国旗・国歌については強制しないという政府答弁から始まっている混乱なのです。
【委員】(引用者注:鳥海巌氏)だから政府答弁が間違っているのです。だから文部科学省はきちんとやりなさいと、こう言っているわけです。都の教育委員会としては市区町村に対してきちんとしたことを言うべきですよ。
政府答弁より自分たちの方が正しい、だから好きなようにやっていい。言葉の正確な意味での確信犯です。教師の思想信条は認めない。でも、俺たちは政府に逆らっても構わない。だって正しいんだから。
こういうご都合主義者によって、実際に教職員たちが職を追われ、思想・言論の自由が踏みつけにされているのです。
これは石原氏の問題だけでなく、石原氏を担いで好き勝手なデタラメを現に行っている、横山氏や土屋氏のような人々を野放しにして来た問題でもあります。しかも、横山氏はその後副知事に出世しているのです。
さらに、2006年4月13日には、職員会議での採決禁止を通達し、校長の上意下達に徹するよう命じる通達を出しました(「 「おかしいぞ!」東京の教育。職員会議で採決禁止」)。『朝日新聞』によれば、中村正彦教育長は「校長の決定権がないがしろにされ、これでは校長は飾り物で、『ほっとけない』ということになった。(中略)「皆さんの意向はどうですか」と手を上げさせることは、縛りがかかってしまう。人間というのはやっぱり弱いからだ。「大人気ない」という人もいるが、職員会議が実質的な議決機関にならないよう徹底した」。
ここまで来ると、怒りよりも情けなさが先に来ます。批判にまともに対応する力がないから、とにかく口を封じておく。まさに臭いものに蓋です。
ちなみに、諸外国の例は「4 諸外国における国旗,国歌の取扱い」にありますが、東京都のような国旗・国歌の強制を是としている国はむしろ少数派のようです。
そもそも、言論の自由を認めない、減給や追放などの処分で屈服させたところで、誰が国旗・国歌への敬意を抱くものですか。しかも、自分でその根拠を説明できるかも怪しいというのに。
この方法で本当に「国家への忠誠心」を身につけられると思うなら愚かとしか言いようがありません。それとも、情理を尽くして説得できないことをうすうす自覚していて、それで力で他人を押さえつけることに酔っているのか。そんなつまらないことに人間の一生を台無しにするのですか。
石原氏は選挙期間前から「穏健」を装っていますが、選挙期間中の3月30日にも、35人の教職員が懲戒処分を受けています(『毎日新聞』3月31日「君が代問題:「君が代」不起立の公立校教員処分 教諭「都民も考えて」 /東京」)。
その癖、石原氏の公式サイトでは、選挙の公約に国旗・国歌の義務づけとか、従わない教職員の追放とかは一言も書いていません(「東京再起動。」)。公約として正面から訴えず、当選すればそれを根拠に勝手を始めようと、またしています。
あんまりにも人を馬鹿にした話ではありませんか。都民の皆さんは、石原氏に舐められているのです。
管理人 K・MURASAME
2007/04/03 02:13
最終更新2008/01/23 23:57